Apr 14, 2009

手形割引は、2001年3月の金融商品に係る会計基準が改正されました

銀行などで手形割引を実行すると、手形割引料とし、会計の"手形売却損"として損金処理します。 2001年第3四半期では、"金融商品に関する会計基準"により、"受取手形割引や裏書譲渡都市消滅を認識する"と改正されました。手形割引や裏書譲渡も実質的に手形の売却と規定した。手形割引料改正以前は、実質的に手形を担保にした借り入れ利子に相当すると見なされていた。
利用言葉をメジャーに金融商品は確かにFXです。最近のFXはレバレッジがかなり高く設定できるようにされてきた企業は、1000倍のレバレッジを聞かせることができます。これに対し、CFDはFXと同じ吸引にもかかわらず、最大の手段は、20倍程度です。その理由は、取引対象の違いが挙げられます。
<「三男坊は野球のセンスがあった」>

 今サッカー界で注目を集めている「高木3兄弟」。その3人(長男・FW俊幸=20、次男・MF善朗=18、三男・FW大輔=15)を育てたのが元大洋(現横浜)、日本ハムで活躍した高木豊氏だ。どのようにして息子たちをサッカー選手に育てたのか。

――プロ野球で活躍された高木さんがなぜ子供たちにサッカーをやらせたのですか?
「体を動かさせたかったのがきっかけです。最初はやりたいとも意思表示できない幼稚園の頃でしたが、サッカーのような単純にゴールを目指すスポーツなら、子供たちの年齢でもできると思って。野球はまだその年代では難しいですし」
――やらせてみていかがでしたか?
「サッカーをやらせてみたら足が速いことがわかった。ボールがルーズに転がっても一番に取れる。楽しそうだったし得意になりますよね。好きこそものの上手なれです。でも、もし試合に出られずベンチでジッと座っているようなら、野球を教えたかもしれない。(控えで)耐えることが今後の役に立つとは子供心に思わないでしょう。それなら得意分野に進めてやろうと」
――他のスポーツもやらせたのですか?
「ゴルフの打ちっ放しに連れて行ったり、野球や水泳もやらせた。でも全く興味を示さなかったんです。サッカーの時は必死だったのに、水泳になると負けても別にかまわないという表情。長男は泳いでも、あれ、暴れてる? 溺れてるんちゃうか? というレベルだった」
――三男には野球のセンスを感じられたそうですね。
「三男坊は野球のセンスがあった。今でももったいないと思うほどです。小学校3年生の時にバッティングセンターに連れて行ったのですが、一球も打てない。カネがもったいないじゃんって笑ってたら、その3日後に、また連れてってくれと言うんですよ。すると(何十球も)ガンガン打つの。どうしてだと聞いたら、寝る時に自分なりにビデオや本を見て考えてみたっていう。それも右でも左でも打つ。聞くと両方の(打席で打てた)方が得だろうと言ってねえ。スポーツは見るのが好きで、見て自分でアレンジしていく」
――長男は小学校1年生の時だけ野球をしたそうですね。
「学年別に分けて試合をするサッカーと違い、野球は年上の上手な子と交じって試合をやる。楽しさを感じる機会が少なかったのでしょう。それに弟の善朗が(サッカーの)大会で優勝して帰ってくると、野球をやっている兄貴の面目がない。1年たったらやめたいと言ってきた」
――すぐに了承したのですか?
「一度やり始めたことを途中で投げ出すのはよくない。そこで公園にあるサッカーのグラウンド(横幅約100メートル)を35秒で走ってこいといったんです。すると33秒でかえってきた。その顔も真剣なんですよ。それでやめてもいいよと言った」

<「決めた道の変更にはリスクが伴う」>

――なぜそこまでさせたのですか?
「自分の決めた道を変更することは何かしらリスクが伴うことを教えたかった。そうしないと、これからもおもしろくなかったらやめようになってしまう。変更を認めた代わりに何をするんだ、と聞いたらサッカーをすると。それで毎日練習すると約束させた。それから本当に毎日自主的に練習をした」
――子供の頃から夢は何か? といつも尋ねていたそうですね。
「ええ。小学校4年生の頃になればはっきり言えるようになる。言わせることによって子供は意識するようになる。例えばサッカー選手になるために何をするの? と聞くと『練習』とか言うよね。でもそれだったらみんな練習するよ? とさらに聞く。『じゃあ家でみんながやっていない時にやる』と具体的に言うようになる」
――三男には聞かなかったそうですね。
「三男には兄のプレッシャーがあった。一度兄貴たちをどう思うと聞いたら、おれは兄貴たちと比べられることがプレッシャーだと」
――そういうシグナルみたいなのを感じていたのですか?
「子供ってちょっとした会話の時にヒントが隠されていることが多いんだよね。今のことでも車の降り際の時の会話なの。会話の中でどの言葉を使ってどう表現するかで、この子がどれくらい本気なのかがわかる。子供ってデリケートだし、不安定な時期だからね。あまり子供は自分を隠さず意思表示をして信号は出すはずだから親は敏感にならないと。もしそれを見逃すと、そのまま心を閉ざしてしまう子もいると思う」

▼高木豊(たかぎ・ゆたか) 1958年10月22日、山口県生まれ。多々良学園(現高川学園)から中大を経て80年のドラフト3位で大洋(現横浜)に入団。84年に56盗塁で盗塁王を獲得。85年には加藤博一、屋鋪要と共に「スーパーカートリオ」を結成。92年には300盗塁を達成した。94年に日本ハムに移籍し同年引退。通算記録は打率・297、88本塁打、545打点、321盗塁。引退後は01年に横浜のコーチ、03年から04年にはアテネオリンピックの代表チーム内野守備走塁コーチを務めた。現在は野球解説者として活躍。

▼高木俊幸(たかぎ・としゆき) 1991年5月25日、横浜市生まれ。あざみ野FCでサッカーを始め、その後東京ヴェルディ・ジュニアユースに加入し、同チームのユースへ昇格。09年に2種登録選手としてJ2デビュー。10年から正式にトップチームへ昇格。1年目からレギュラーに定着し、シーズン終了後にJ1の清水エスパルスに完全移籍した。170センチ、62キロ。血液型B。

▼高木善朗(たかぎ・よしあき) 1992年12月9日、横浜市生まれ。あざみ野FCでサッカーを始め、05年に東京ヴェルディ・ジュニアユースに加入、08年にユースチームに昇格。09年U―17W杯に出場、09年3月トップチームに2種契約選手で登録され、10年9月にはトップチームに完全昇格。今年6月、オランダ・エールディビジのFCユトレヒトへの移籍が決定した。170センチ、64キロ。血液型A。

▼高木大輔(たかぎ・だいすけ) 1995年10月14日、横浜市生まれ。あざみ野FCでサッカーを始め、東京ヴェルディ・ジュニアユースに加入。10年にU―16アジア選手権日本代表に選出され、11年にはヴェルディユースに昇格。U―17W杯の日本代表に選ばれ、8強入りを果たした。170センチ、64キロ。血液型B。

(日刊ゲンダイ2011年8月4日掲載)
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.